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夜の冬木市商店街。
その一角にある喫茶店で、バレンタインデーの企画を任された青年がいた。

青年の目の前の、壁に掛けられた時計が23時45分を刻む。
あと十数分で日付が変わるというのに、その青年はカレンダーを見てため息ばかり吐いていた。
スマートフォンの計算機アプリが表示した数字が、ランサー‐クー・フーリン‐の表情を難しくさせる。
しばらくして、槍兵は顔を上げた。そして何かを思い出したように椅子の横に置いた紙袋の中身を探った。

甘いものを食べると、脳がリラックスして作業が捗りやすくなる。
そう云っていたのは、紅い弓兵だった。
丁寧にラッピングされたそれを確認したランサーは、自分用の紅茶を入れに炊事場に向かった。

ランサーは昨年のクリスマス商戦から、店の事で悩んでいた。
お菓子の原料である苺や小麦などが急な値上げをしたのだ。
そして彼が働く喫茶店も、その煽りを食らっていた。

(さて。お嬢ちゃん達が喜びそうな企画は……)

淹れたての紅茶と貰った焼き菓子を机に置き、再びデスクトップPCの前に座る。
今年のバレンタインを待たずに閉店する店も多い中、頼れるものと云えば―――。


「こういうのは重過ぎず軽過ぎず……ってなるんだが、店の事までとなると、な」

窓の外を見ると、相変わらず風は冷たく強い。
この不況に加えて寒空の下で、どんな店なら来店しても良いか、甘いものが好きな女性達に直接訊いてみる事にした。

翌日、元マスターの根城にランサーは来ていた。
「え? バレンタインにやってくれると嬉しい企画ですか? ……そうですね。紅茶……ええ、飲めれば何でも私にとっては同じですが……あー! アンリのために甘いものを作ろうと思ったのに、どうしてこんな……!! ま、待って下さい! ランサー」

オーブンから煙が上がり、厨房に立ち込めた。
それを見て、バゼットは途端に慌てだした。
ランサーは元マスターの現状を見て呆れるというより、どちらかと云うとげんなりした様子だった。

(バゼットに訊いたのが、悪かったか)

最初から分かっていたはずだった。バゼットがとんでもないダメット……もとい、ドジっ娘である事は。
それでも元サーヴァントの目から見て最高の相性だった彼女。どんなサービスが喜ばれるのか事前にレクチャーしておこうと思ったのだ(それがアンリマユや衛宮士郎のためでもあった)
突然のアクシデントを前に、ランサーは洋館を退出した。


仕切り直して。
衛宮邸を訪れたランサーはセイバーとイリヤ、そしてライダーと桜にお菓子の好みをそれとなく訊いてみた。

「キャスターがあなたの働く店のスコーンが美味しいと褒めていました」
「おうよ。最初は色の付いた水とか云ってたけど、実際に食ってみたら『あら、美味しい』って云ってたぜ♪ 」
「そんなに美味しいなら、何でアーチャーを招待しなかったの? ランサー、あなたの事だからアーチャーにはた~っくさんお世話になってるはずだしね」

イリヤはいたずらっぽい目で、槍兵に質ねる。
ランサーはギクリとして

(白いお嬢ちゃんには叶わねぇな)

と頬を掻いた。
「兄さんがよく行くお店もスコーンが美味しいらしいので、マカロンやクッキーなんかが紅茶に添えてあると嬉しいです」
慎二はふだんランサーが働くのとは別の喫茶店を利用しているようだ。

「サクラは最近、凛の家で姉妹水入らずでお茶を飲む機会が増えていますね」

セイバーは姉妹の本来あるべき平和で微笑ましい姿を想像したのか、目を細めている。

「そう! それ! そういうリクエストだとか意見が欲しかったんだよ」

セイバーやライダー、イリヤの笑顔が眩しい。これこそが今回ランサーが欲していた答えだった。

「答え……チョコも悪くはないですが、私はアヤコがいいですね。桜のアドバイスを参考にアヤコを誘ってみます」



「姉さんと先輩に訊いてみてもいいと思いますよ」

桜がそう云ったからではないが。
ランサーはスーパーに買い出しに出ている凛に、話を聞いてみる事にした。

「紅茶に合うお菓子? それなら、私よりアーチャーに聞いたら? 」

「遠坂、俺だって頑張って紅茶の淹れ方を頑張って勉強してるんだ。もちろんそれに合うお菓子だって……いろいろ勉強してる。どうしてランサーに対して、あいつに聞けなんて云うんだ。ここはまず俺に聞けって言うべきなんじゃないのか」

赤い髪の少年は新鮮な果物を探しに行っていたらしい。手に持ったオレンジをカートに入れ、なぜアーチャーの名前がそこで出るのかと凛に質ねる。

「あら初耳ね。衛宮君は日本茶のほうが専門だと思っていたわ。それについては、後のお楽しみとさせてもらうけれど。……ちょっと来なさい」
「? ……何でさ」
「いいから、いいから」

ランサーに聞こえないように、二人は店の隅っこに寄った。
実の所、ランサー自身もイリヤに「何でアーチャーをお店に招待しなかったの? 」と訊かれた辺りから、何故ここで紅い弓兵が絡むのか少し不思議に思っていた。
此処にギルガメッシュがいたならば、「鈍い! 鈍過ぎるぞ! この駄犬が」と高笑いされていただろう。

「ところで遠坂。それって本当なんだろうな? 」

士郎の顔が引き攣る。

「あ、やっぱり知らなかったのね。そんな事だろうとは思ってたけど」
「そりゃあ、俺とアーチャーは別人だからな! 」
「とにかく、うちのアーチャーとランサーは仲がいいのよ」
「仲がいいの範疇を越えてると思うぞ」


「で、質問の続きなんだけどな。アーチャーなら、どんなもんが好きだってんだ? お嬢ちゃんや坊主の視点で教えてもらえると、それはそれで参考になるんだけどな」

士郎は先ほどと違って、不服そうな顔をしていない。
むしろランサーを観察し始めてさえいた。

(バレンタインが近いこの時期、紅茶専門店で企画でも任されたんだろう。アーチャーもそれを知った上でクッキーを焼いたみたいだし)

自分は自分なのでランサーを参考にしたいとは思わないが、さすがは生前、数々の女性と浮き名を流した英雄だけはある。
若い女性もよく通うあの喫茶店でバレンタインデーの企画を担当するには、ある意味で適任といえた。

「アーチャーの事だから、そっちに塩を送ったとは思うわよ? 」
「は? 塩って……」
「昨日の朝早く、厨房でクッキーを焼いてたから聞いてみたのよ。そうしたら日頃の感謝だって私にクッキーをくれたの。バレンタインは明後日なのによ? ほんと、私にくれた分はついでだって云われたようなもんだったわ。あいつ、あなたといる時間が凄く楽しかったみたいね」



バレンタイン当日。
冬木市は数日前と同じ強烈な寒波に襲われた。
が、ランサーが考えた企画は大盛況だった。

店内で紅茶かコーヒーを頼むと、もれなく特性チョコが。そして家族や友人もしくは恋人とペアで来店した場合、ショコラマカロンを選べるサービスを提供する。

(ランサーの事がよほど気になったのか)赤い悪魔と呼ばれる少女は弟子の士郎を連れて来店した。 色違いのペアのダッフルコート姿が、初々しく若い二人によく似合っていた。

二人は店内の装飾に目を輝かせた後、満足げにメニューを選び始めた。
凛はオレンジのマカロンを。
士郎のほうも、ストロベリーのマカロンを選んだ。

「このマカロン、紅茶の爽やかさが増して美味しい」
「ああ。いろんな茶葉を試してたんで、こういうのは有難いな」

同じ男相手に悔しいとは思うが、この味ならば何度も足を運んでもいいと思える味だった。

(遠坂は時々、こういうのを思い浮かべて桜とお茶してたのか。俺も遠坂を唸らせるような美味しい紅茶が淹れられるように精進しなきゃな)

アーチャーやランサーに負けていられない。士郎はりっぱな執事になるべく闘志を燃やした。


カラン……
ドアベルが鳴り、長身の男が入店する。
ランサーにどうしてもとせがまれたアーチャーは、ステンカラーコートを身に着けて現れた。
いつも黒の私服で行動する彼の、珍しいコーディネートに店内の女性達の目は釘付けだった。

ランサーは水とおしぼりを携え、客席に向かう。

「いらっしゃいませ」
「招待してくれた事は感謝する。……正直、こういう雰囲気で紅茶を飲むのは、あまり気が進まないのだがね」
「そりゃあ、そうだろうがね。俺としちゃ、どうしてもお客様として来て欲しかったんだよ、アーチャー」

ランサーはアーチャーが来てくれた事が、ただただ嬉しかった。

一方のアーチャーは、ランサーの笑顔を見て、気恥ずかしそうにしている。 何しろ、焼き菓子を贈った理由にランサーが気づくとは思ってもいなかった。 一体どういう顔をすればいいのか、誰かに聞きたくなるほどだった。

「……せっかく来たのだから、紅茶以外も堪能させてもらうとしよう」



「おうよ。こないだのクッキーの礼だ。外は寒かったろ? 今日はゆっくりして行ってくれ」

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